お久しぶりです、煮です。
今回は僕の「ここ数年で考えた哲学っぽいもの」を書いていきます。
未来の自分宛てに、社会人直前の激甘な今の自分の頭ん中を切り取ったら面白いんじゃね?みたいな理由で書いてます。何年後とかに黒歴史になってなかったらいいなあ
僕なりの人生哲学だとかを適当に書いていくんですが、見る人は多分、僕より年上の方々で人生経験が豊富な方が多いと思います。「かわいいこと書いてるな〜」とか思っちゃうかもしれないですけど、それでも何か気付きがあったら嬉しいです。
※なお、これらは学術的根拠があったりするものではなく、自分の経験と齧った知識を重ね合わせてでてきた、帰納的なものです。いわゆる「個人の感想」です。
いくわよ。
1.蚊に刺される問題
いきなり意味わからんこと書いてすいません。
自分の中で「蚊に刺される問題」って呼んでるものがあるんですけど聞いてください。
例えば、あなたは蚊に刺されないようにするにはどうしてますか?
1.家に籠って侵入を防ぐ
2.蚊の生息しない場所で暮らす
3.虫除けスプレーをする
4.蚊を滅ぼす
5.死ぬ
おそらく1,3あたりは当然に実践してると思います。2,4はそこまでしないですよね。5は…😭
なんの話かっていうと
これ、人間の抱える問題大体に当てはまるんですよね。
被せる定義がデカすぎるかもしれませんが、蚊を「ストレス」と読んでみます。
1.ストレスを感じないように閉じこもる
2.ストレスのない場所に環境を移す
3.ストレスを感じないよう自分が変わる
4.ストレスの原因を排除する
5.死ぬ
しっくりこない人は「対人関係」とか、今あなたが抱えてる問題に言い換えて読んでもいいかもしれないです。
比喩で終わらせてはいけないので、実用性を検討します。
【実用性】
1.生存するために物的なリソースが必要で、有限。
2.環境を移しても「蚊」に変わる害虫、つまりは以前感じなかった別の種類のストレスを被らないという保証がない。
3.後述。
4.バカちん。コストかかりすぎ。
5.耐えきれない、もしくは1〜4が浮かばなかった人は選ぶと思います。
こうして見ると、1,2,3,5は「自衛」に、4は「干渉」にカテゴライズできます。
つまり蚊(ストレス源)を消せないと仮定した場合、
自衛するしかない
んですよね。
これ、よく分かってない人すごい消耗するんですよ。Twitterで政治発信している人とかいい例かも。例えば税金に不満を抱いている人が居たとします。
税金が下がるように活動or政治家になる
↓
国がそれを聞き入れる
↓
欲しいものが安く買える
↓
しあわせ
そもそも最初の時点で難易度高いことが分かりますね。
国を変えるというのは蚊を殲滅するかのような、クッソ骨の折れる作業であると言えると思います。
一方、自分の思想を転換した場合を考えると、
現状で満足できるよう、自分の幸福基準を変える
↓
しあわせ
ということになります。
分かりやすくするために、ちょっと極端な例にしました。思想を変えるのが唯一無二の方法!とかじゃないです。給料が上がるように勉強するだとか、職を変えるとか、金銭に執着しないようにするなど、そういった方法でも少なくとも解決に向かえますからね。
言いたいのは、どっちの方がコストが安く済むのか自明であるということです。
仮に、何かに干渉して問題を解決できたとして、他の問題が出てきた場合、
再び解決を試みないといけないんですよね。
自分以外は常に可変なので
他への干渉は対症療法に過ぎないと思います。
つまり
ストレスを減らす/幸せになるために他に干渉するより、
自分が変わった方が楽だし早い
んですよね。
真面目な方は「結局諦めてるだけだし、こういう奴がいるからダメになる」と思うかもしれません。いや、はい、全くもって仰る通りです(泣)すいませんでした…
ですが、こんな"真面目"な活動ができる方って、そういう「幸福までの遠回り」をするほどの余裕や能力がある人、文句垂れてること自体が楽しい人(もしくは回り道をしていることを自覚していないバカちん)だからできていると思うんですよね。
余裕や能力がない人は無理に付き合わなくていいんじゃないでしょうか。ギリッギリの生活費で生きている人に「俺も払ったんだから」と募金を求めているようなものだと思います。
「あなたは○○だから幸せ/不幸である」みたいな意見が一般的だったとして、
○○であってそれが幸せなのか不幸なのかを決めるのはあなた自身です。
そういう意見には「自分が○○だった場合、幸せ/不幸だから」という無責任な前提が潜んでいる場合があることを心に留めておいて欲しいです。
数年前に自殺一歩手前までいったことあるんですけど
「他人の価値観で生きてるとキリがないな」
と思ったのですが、これに集約されてると思います。
2.ストレスは期待の引き算によって生じる
「行動をしなくちゃいけないと分かっているが、スマホ触っている」
こういう時めっちゃ凹みますよね。そうしてどんどん自分が嫌いになってくる。
結論を言うと、自分に過度な期待を寄せているからです。
「自信のない人でもこう感じる」と反論されそうですが、そうじゃなくて
自分の弱さを認めてないから
です。
行動できる、と思っている自分の思い上がりをまず批判しましょう。あなたが今まで行動できた時というのは、モチベーションという可変で気まぐれなものに振り回され、それがたまたま良い方に振れた時だけです。
…とまでは言わないですが、こういう"傾向"に当てはまる方はいらっしゃるのではないでしょうか。
ここで言いたいのは「モチベーションに頼らずに行動できる方法を模索しよう!」とか、そういった自己啓発的なことじゃないです。
つまり、自分に期待しないということです。
すっごい悲観的に聞こえるかと思いますが、そんな後ろ向きな考えじゃないです。
経験談なんですけど、自分の弱さを認める時ってめちゃくちゃ苦しいです。
しかし、一度全部を認めてしまうと「失うものが何もなくなる」んですよね。
例えば「悪口」「批判」といった言葉を目的語にした場合、一般的に「耐える」という動詞が似合いますが、失うものがなくなると「同意する」に変化します。「仰る通り」だとか「それはそう」という状態です。
「バカ」と言われた時に傷つく人ってどんな人でしょうか?
「自分はバカであると認めたくない人」
「自覚はあるけど人に知られたくない人」
の二種類の人だと思います。共通するのは
自分の期待通りに行かなかったことに不満である
という点です。
難解な表現になりますが、
弱い自分を認めることは、ありのままのピュアな自分を直視することの一部を担っています。つまりその過程で、期待という「不確定」な言葉が消えないと、ピュアな自分という「確定」した事実を掘り出せないんですよね。伝われ!
端的に言えば、自分の弱さを認めるというのは
虚偽の自分に期待しているのを認め
ありのままの自分を見つめる
ということになると思います。自己受容という言葉がこれにあたるらしい。
ということは、
本当の意味での「自信がない(ある)」という言葉は、ピュアな自分と期待している自分との解離を、つまりは本当の自分を「客観的な事実」として正しく認識できてる人にしか使っちゃいけない言葉である、と言えると思います。
だから、「0」の自分*になれるんですよね。さっきから意識高そうな表現ですいません。何が言いたいかっていうと、そっから足し算しかできなくなるし、また弱い自分が発露した時、「事実の再確認」でしかないので、過度に傷つくことはなくなる、ということです。
やらないといけないことを前にしてスマホ触ってしまったとしても、それを止めるかどうかは置いておいて、少なくとも「凹む」ということがなくなる、ということです。
こういうのを「開き直る」と一蹴する人がいらっしゃるかと思いますが、それとはちょっと違うのではないでしょうか。開き直るのは自分を守るための手段であって、自分の本質が変わった際に、つまり「自分の生き方が変わった」際の形容に使われる言葉ではないと私は考えます。
ここまで来てやっと「こうなりたい」という
健全な期待を抱くことができると、
そう現時点では考えてます。
この辺の哲学は発展途上かな…
*便宜上「0」と表現しましたが、「これ以上の下はない」という意味です。摂氏-273℃(華氏0K)みたいな、最底辺という意味。
3.本をよめ
「本は人の一生を知れるから読め」
みたいなフレーズをどっかで見てからめっちゃ読むようになりました。
本読んでて気付くのですが、結構日常で考えてたことに名前があったり、しかもそれが自分より深く考察されてたりするんですよね。
つまり、本とかで勉強しない人らのやってることって車輪の再開発だと言える気がします。
本読めばこれから出会うであろう問題のカンニングもできるし、深めるであろう思考回路もある程度完成して転がっていることが多いです。
とにかく対処の効率がめちゃくちゃいい。ラクしたい人ほど本読んで欲しい。
重複してる内容もあるけど、以下メリット
【メリット】
・車輪の再開発が防げる
・考えていることに名称がつく
・感情の解像度が上がる
・動画とかゲームで満たすストーリー欲を、大容量かつ短時間に摂取できる
・選択肢が増える
「選択肢が増える」というのが一番デカかったです。ゲームで例えた場合、通常2択の選択肢が3択になったとか、「この敵を倒すにはこの攻撃と、こういう方法でも行けるよね」だとか、そういうの感じのが実生活で明らかに増えました。
本読まない理由に「忙しい」とかは差し置いて、「自分なりに哲学持ってる」とか言ってる人、なんか身の回りに多かったんですけど、めちゃくちゃ井の中の蛙です。自分も「本なんか必要ないしインターネットでよくね?」とか思ってた時期あるんですけど、全然そんなことないです。いわゆる「無知の知」なんで、とりあえず1度気になった本を手にとってみては如何でしょうか。本の紹介はしないです。結構意識高いやつと訳わからん文庫本読みまくってるのと、なんか頭の中覗き込まれてるみたいで恥ずかしいから
ずっと夢見て寝ていたいって人にもおすすめです。本読んでる間ってなんだか現実味がなくて、頭の中の物語がすすんでいるような、夢をみているときと同じような感覚に陥ることができます。恣意的に夢を体感できるの、良くない????ちなみにラノベは全然そういうことにはならんかったです。何でかはしらんけど。
このツイート揶揄されがちですが、
これに集約されてると思います。(確かにこんなんいきなり言われたらヒくけど)
この漫画を全面的に肯定するつもりはないですが、確かに物事の理由を識ると応用が効くし、なにかをみるたび、せかいがたのしくなるのはしんじつだとおもいます。ほんとうです。しんじて
ア!!!!!!!!!!!!!!こ、これは…!!
今好評絶賛発売中の『シメジシミュレーション』に出てくる「よみかわ先輩」だ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ウグウウウウヴウウヴウウウウウ”ウウウウ”ウヴヴヴヴヴウウウウウヴヴヴウウウウウウヴヴヴウウウウウウウウウウウウオオオオオオオオオオオっwwwwwwwwwwww
も、もしかして…ぽ、ポキが本📚の話してたから🤫寂しくて😢逢(あ)いにきちゃったのカナ❗️❓😅
4.メタ思考(自分宛なんで読まんでもOK)
本によって名前を与えられたもの第一号なんで、記念の意味も込めて自分へのメモ的に残しておきます。
ゲームとかしてる時よく考えてたんだけど、例えば「BOSSを倒す場合」。一言に「BOSSを殺める」と言っても、様々な処理と方法の上に享受できる結果であることが分かります。
☆BOSSが死ぬ←①死亡処理が入る←②HPがゼロになる←③イベント/攻撃がHitする←④攻撃を出す←⑤距離を詰める…
と分解して考え、それぞれに違う方法がないかを検討して考えます。ゲームが上手くない人って、勝利に到るまでのバリエーションが少ないし、無意識に「こうしないといけない」というバイアスに絡めとられてるんですよね。そうした罠を掻い潜るための方法です。本題ではないので割愛します。
メタ思考とは、こうやって分解して考えて、"上位目的"を探ることを指します。
例えば飲食店街にあるファミレスを考えた場合を考えてみましょう。
うちに来るやつは腹を満たすのを目的とした客である、と断じてしまってコスパの良い飯を考案しても、実は暇を持て余して来ている客の方がメインだったなら全く意味がない…みたいな感じだそうです。
これ俺?になったときはめちゃくちゃシビれましたね。で、ここから「アナロジー思考」という概念にも繋がって…みたいな、とにかく、こう、本って良いなっていう…(不時着)
5.終わりに
なっっっがい…。最後らへん疲れちょる。ページ跨いで書くのも考えましたが、個人的にページ跨ぐの嫌いなんで、あえて1ページに収めました。どうでしたか。良かった?良くない…そう…
少し未来の自分はどう考えているのでしょうか。
そう考えると生きるのがちょっと楽しいです。
読んでくれてありがとね。
【追記】
他の意見(自分語りでもOK)が欲しいので良かったらコメントだとか、DMだとかでなんか言ってくれると嬉しいです。